またイラストを描いてみた

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前回は四神の青龍を描いたので、今回は朱雀を描いてみた。

前回同様えんぴつで絵を描いてフォトショで色塗り。

マウスで羽毛の色を塗ったので右手が死ぬかと思った。。。汗

朱雀:四神南方守護
朱雀:四神南方守護

やはりタブレット欲しい

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裁判の制度はおかしいと思う。

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村木厚子さんの事件などを見ていても、やはり裁判の在り方はおかしいと思う。

検察も弁護士も相手を打ち負かす事を目的に材料集めをしているから

自分側に都合の悪い証拠は隠ぺいされる

誰も唯一無二の真実を探求していない。

そもそも言い負かした方が真実だというシステム自体がおぞましい。

これじゃ戦争と同じだ。

裁判は学者の研究と同じくして真実の探求として行われるべきだ

検察はこういう事を言うらしい。

「はやく認めた方がいい。裁判になったら君が得をする事はない」

弁護士もこういう事を言うらしい。

「一般的に裁判になったら勝つ確立は○%程度だから、やったかやってないかはともかくとりあえず認めた方が君のためだ」

被告はいろんなプレッシャーを周りから当てられまともな判断ができなくなる事も多い。

孤独感や絶望感からやってない事を認めてしまうケースも相当数あるようだ。

検察や弁護士に与えられるインセンティブの基準が問題だ。

検察は一度しょっぴいた被告が無罪だった事でメンツがつぶれる事を気にする。

弁護士は無罪を勝ち取れば自己キャリアを築いていける。

だから改ざんや隠ぺいをしてでも真実を曲げる行為が行われる。

頼むから誰か真実の追求をしてくれ。

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中国共産党による暴力を許すな!

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■尖閣諸島の領有権についての両国の言い分

【中国側言い分】

1.明の時代、琉球への冊封使の報告書である古文書に魚釣台を目印に航行した記述がある。
2.江戸時代の日本の学者が描いた地図の色が中国側と同じ色だった。
3.日本が密やかに「領有」を実現し、国際社会に宣言しなかった。

つまり中国側の言い分はこういう事になる。

1.古文書に名前が出てくる地域は自国の領土である。
2.江戸時代の一介の学者が描いた地図の色が国際法に元づく公的文書よりも強い証拠。
3.1971年以前、中国自身領有を宣言した事がないがその事はいいらしい。

もっと言うとこういう事になる。

1.昔から知っている → 俺の物
2.誰ぞが描いた地図の色が同じ → 俺の物
3.俺も宣言していないが、お前も密やかにしか宣言していない → 俺の物

因みに、中国側には一切の公的文書による領有権の記述は存在しない。

【日本側言い分】

・1885: 沖縄県令(県知事にあたる)西村捨三(にしむらすてぞう)が尖閣諸島の公的支配を申請。
→ 清国の領土か未確認であったため衝突を懸念して山縣有朋によって上記は却下される。
・1895年1月:  正式に沖縄県の領土として組み入れる事を宣言。
→ 1884年から入念な調査を行い、結果尖閣諸島を領有する国が無いことを確認している。
・1895年4月:  下関条約にて日本・清両国によって尖閣諸島が日本の領土であることの同意が行われる。
・1920年: 中国から石垣住民に送られた感謝状に「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」と明確に記載
→遭難した中国難民を救助した石垣住民に中国から贈られた感謝状。
・1969: アメリカは尖閣諸島を含む沖縄周辺の島をアメリカ支配から日本国に変換する事を表明している
・1970: 中国教科書に明確に日本の領土である尖閣群島として紹介されている。
・1972/5/15: 日本はアメリカから公的に尖閣諸島の変換を受けている
・1971年までに日本の「領有権」に異議を唱えた国は存在していない。

1969年国連が尖閣諸島周辺に大規模なガス田がある可能性を示唆
→1971/6/11:中国は突然尖閣領有権の主張を開始した。
地下資源発見前1970以前、尖閣諸島防衛協会発行の尖閣諸島写真集には中華人民共和国発行の社会科地図にはっきりと”尖閣諸島”と記載され、国境線も尖閣諸島と中国との間に引いてある。しかし、地下資源が確認された以後の1971年の南西諸島の部では、尖閣諸島は”釣魚台”と記載され、国境線も日本側に曲げられている。

中国から石垣住民に贈られた感謝状
石垣住民への感謝状
石垣住民への感謝状

台湾も明確に尖閣が日本の領土であると認めている。
以下参照
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イラストを描いてみた

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気が向いたのでイラストを描いてみました。

良くいう四神の一つ青龍ってことで。

青の原義は緑。青龍の体色も緑という事になっております。

青龍:四神東方守護
青龍:四神東方守護

1.初めに普通の紙に鉛筆で絵を描きます。

2.デジカメで写真を撮ってPCに落とします。

3.Photoshopを使って色をつけてできあがりです。

結構原始的な方法ですんまそん。

初めからタブレット使ってカッコよく描きたいんですが、貧乏なんでこれでいいのです。

マウスで頑張ります。

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退院のお知らせ

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皆さまこんにちわ。

肺分画症の手術を終え数日の療養の後、土曜日に無事退院する事ができました

ご声援頂いた方々には心より感謝申し上げます。

いろいろアドバイスを受けましたが、結局ここに泊ってました。
いろいろアドバイスを受けましたが、結局ここに泊ってました。

手術は6日の午前中に行われ、終了後そのまま集中治療室(ICU)へ。

手術当日はICUに一泊しました。

手術前。変なタイツを掃かされた。。。涙
手術前。変なタイツを掃かされた。。。涙

流れはこんな感じ

1.筋肉弛緩注射

手術前に肩に筋肉注射を打たれます。

ズーンと思い痛みが肩に走りますが、すぐクラクラしてきます。

2.目が覚めて手術終了

はい。もう筋肉弛緩の注射依頼の記憶が飛んでいます(笑)

ベッドから見上げる視界。体中が痛いです。

何時だったかは全くわかりません。

実際には、肩の注射の後もいろいろ受け答えしていたらしいですが、記憶にありません

手術は12時半ごろ終わったらしく、両親が来てくれたらしいです。

その時僕は、「いたい、いたい」言って唇を震わせていたらしいです。

ここはなんとなく記憶にありますが、親が近くにいたかどうかは全くしりません。

手術後
手術後

翌日(7日)には無事一般病棟に戻ってこられました。

一般病棟に戻る時、体に入っていた管を数本は抜いてくれたのですが、

まだ肺のドレイン、尿管に排尿用の管、背中に麻酔用の管、左手に点滴用の管が刺さったままでした。

(左)背中の麻酔の管/(右)肺ドレイン
(左)背中の麻酔の管/(右)肺ドレイン

病棟に戻ったあと、先生に冷たく

「はい、じゃ、歩けたら歩いていいからね。」

と言われました。

いや、、、、、むりむり。

ま、ちょっと歩きましたけど。

とにかく管が痛くて咳も痛くて辛かったっす。

翌々日(8日)はやっと全身の管を抜いてもらってある程度自由に歩けるようになりました。

管を抜く時は先生が一気に抜きます。

すると胸からニュルニュルっという感触と共にかなり長い管がズルズルと出てきました。

相当気持ち悪かったです。こんな長い物が胸に刺さっていたのか!!と衝撃でした。

おちっこをする場所の管を抜く時は全く別の感じでしたがまあこっちもキツイです。

こっちも一気に抜かれましたが、たぶん30cmくらい入っていたと思います。

抜く瞬間は神経を直接触られた様に電流が走ります。嗚呼・・・いたい。

胸の傷は思いのほか小さい物でした。

この時まで全く自分になにをされたかわかっていなかったので傷を見るのは恐る恐るでした。

・カメラ挿入用の穴

・手術用器具操作用の穴×2

・ドレイン用の管

4つの小さな穴があいているのみでした。

ちょっと拍子抜け。こんな小さな穴でこの激痛とはホントに恐ろしいと思いました。

手術前に、先生から「進行状況によっては胸を開かないといけないケースもある」と警告されていましたが、

とくにそういった大きな傷跡はありませんでした。縫った跡すらありません。

手術跡
手術跡

その後の症状としては傷その物というより、周りの影響箇所に響きます。

一番つらいのは咳とゲップ。その瞬間に背中や、腰、胸、わき腹など何処かに激痛が走ります。

腰と背中の痛みで毎晩不眠状態。

左肩(背中側)に肋間神経痛が残っています。

38度以上の熱が続きました。

ある日、真夜中に急に濁流の様な鼻血が出てきました。

呼吸不全も少し起していて若干息苦しいです。

10日の午後に先生が見回りにきて言いました。

「調子はどうですか? そろそろ考えて頂いても結構ですよ。」

・・・え?

表現が抽象的すぎて良くわかりませんが、、、、汗。まぁ、退院の事でしょう。

しかも、それって「退院です。」って言われるわけじゃなくて俺が考える事なのか????

若干戸惑いましたが、良いというので翌日すぐに退院しました。

体調はまだ不完全ですが、これから家でゆっくり療養いたします。

お見舞いに来てくれた方々。

ご声援頂いた方々。

医療機関の皆さま。

本当にありがとうございました。

退院前
退院前
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手術完了のお知らせ。

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前回のブログで入院している事はお伝えいたしましたが、無事手術を終える事ができました。

手術直後は、どうやら「いたい、いたい」言って震えていたらしいのでとても見苦しい話です。でへ。

病名は肺分画症というもので、いわば普通の人にない肺みたいな組織がもう一個あるというものです。

僕の場合は大動脈から直接血管が伸びていて栄養素を吸い取っていたようです。

大動脈からは2本の血管がその余分な肺に向かって伸びていたようで、それらを切断して分画肺を摘出しました。

その際に正常な肺にも若干の癒着があり炎症していたため、正常な肺の一部も切り取ったとの事でした。

手術が終わってからはずっと集中治療室にいたのですが、この間ずっと38.6℃くらいの熱がありました。

ベッドの上にいるのですが、身動きをとろうとするっとあっちこっちに管が刺さっていて激痛でなんもできません。

記憶している限り、

・肺のドレイン

・排尿用に大事なところに刺された管

・背骨あたりに刺さった痛み止め

・右手に点滴用か何かで2つ

・左手にも点滴用か何かで1つ

・鼻には酸素吸入用の管

・後は心電図用のやつ3つくらい

がついていました。

で、肺の奴とち○この奴がとにかく痛い痛い。

肺のドレインは直径1.3mmくらいあり、はいからドロドロ血が出ていました。

動くと体のなかに当たっているようでさらにいたい。

病棟内では自分が一番若い方であるにもかかわらず、おじい様おばあ様方よりもさらにしょぼくれてしまいました。

さっき先生が来て胸のドレインと下の管をやっととってくれました。

だいぶ楽にはなりましたが、まだ肺はかなり痛いです。

咳なんてした日にゃ激痛です。

で、今度はどうやら肺炎の傾向が出ているらしく、ホントに安静にしてなくちゃ。

というわけで今回はこの辺で。

バイナラ。

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入院のお知らせ

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皆様こんにちわ。
最近のツイッターの内容を見ている方は薄々ご存知かもしれませんが、
私本日より入院し、6日(月)に肺の手術を受ける事になりました。

先程入院完了しまして、現在病院内で生活を開始いたしました。
病院はそこそこ綺麗です。
食事がさっき出ましたが、驚くほど質素でしたw

ごはん・さつまいも煮・豆腐で作った肉風の奴・牛乳。
とかそんな感じ。

病棟内ではインターネットができる場所がどうやら無いらしい。
今は別棟にてネットをしていますが、ここも土日は閉まるらしいので、明日あさっては完全隔離状態です(笑)

術後の様態がよければそれほど入院は長引かないと思いますが、状況次第という事でした。
ってか、一昨日くらいから頭痛がする喉が痛いので多分既に風邪をひいています。
これでも手術受けていいのかな?

今日と明日はもう暇なので映画見たり本読んだりしてダラダラ過ごすリッチな生活なのですが、
なぜか心は晴れません。

なぜか・・・。

なぜなんだ。。。

月・火・水辺りはいろんな管が体中に刺さっているそうなので、完全に休養に徹します。
木曜日くらいにネットで何か上げられたら無事でしたという事で、よろしくお願いします。

ってか、こわい。
わいこ。

でわ。
アディオス!

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Webサービス treeを公開しました!

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皆さまこんにちわ。

tree というWEBサービスを作りました。もちろんお仕事で。

Twitter やってるみなさまは遊んでみて下さいね!!

http://twinavi.jp/tree

松嶋から帰還後に怒涛の開発をして今まで作業が及んだ苦労作ですYo。

昨日は深夜地下鉄に監禁されたし。。(- . -;)

「ツイナビ」で検索すると僕が出てきます。

作った特権で登録は一番乗りだぜぃ。げへへ。

tree on twinavi
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